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(2)ピカソ、ミロ及びダリ


ピカソ美術館(Museu de PICASSO)

C/. Montcada, 15-19

1881年、アンダルシアのマラガ県に生まれたパブロ・ピカソ(~1973)は、父親が絵画教師で彼が12歳の時、半島北西端のラ・コルーニャに転勤、さらに16歳の頃バルセロナに移り、その最も多感な時期に世紀末の斬新なモデルニスムの風を豊富に吸い込み、後の活躍に向けての基礎をこのバルセロナで確立しました。彼は23歳でパリに旅立ち流転を重ね、いわゆるピカソらしい作品の大半は国外で描かれ国外各所に収蔵されております。この美術館に展示されている作品の見どころは、その幼少期から20歳前後にかけての初期の作品でしょう。これら作品からは彼の突出した素質と早熟ぶり、繊細さと純朴さが窺われ、天才ピカソの存在がより近くに感じられてくるはずです。他に彼が晩年をジャックリーヌ夫人(当美術館の所蔵作品の多くが彼女の寄贈によったもの)とすごしたカンヌ期の、遊び心いっぱいの作品群は、フランコ独裁下で祖国への回帰を自主的に放棄せざるをえなかった彼の不遇な部分と考え合わせるにつけ、よりピカソという一人の人間像を如実に物語ってくれます。美術館の建物は15世紀頃の豪商出身の貴族のアギラールとカステジェットの2つをつないで造った建物で、1963年の開館後、'70年、'81年と拡張工事が施された結果、現在の姿となりました。またその前に伸びるモンカダ通りは、繊維業で潤ったブルジョア階級の屋敷が軒を連ねた、かつてのバルセロナの目抜き通りでした。


クアトロ・ガッツ (4 Gats)

 ピカソ美術館からカタルーニャ広場の方へ足を運ぶと、世紀末のモデルニスモ運動の中心的な場所だったカフェレストラン「4 Gats」(C/Montsio 3、カテドラルから徒歩約5分)があります。そこでは連日、ピカソを始めとする多くの芸術家や知識人が集まっていたとされています。そこに立ち寄り、芸術家気分でコーヒーを飲むのもお薦めです。

 

ミロ財団美術館 (Fundacio MIRO)

Pl.Neptu (Montjuic)

1893年、バルセロナ旧市街クレディト通りに宝石細工・時計製造職人の息子として生まれたミロ(~1983)は、芸術家への志を持ちながらも、両親に強制されて商業学校に入学し、卒業後は見習い会計士として修行していましたが仕事に馴染めず、18歳の時ノイローゼと腸チフスに倒れ退職し、転地療養したのが転機となって芸術家の道を歩み始めました。25歳からは地元画廊で個展を開くほどになり、1920年初めてパリに出てヘミングウェイ、ヘンリ・ミラー、エルンストら当時を代表する前衛作家と知り合いながら、以後同地に定住しリトグラフ及び舞台美術の分野でその活動を繰り広げます。1936年スペイン内乱勃発に続き39年にフランコ独裁が始まると、ピカソらと同様、国外から共和国支援と独裁非難をモチーフとした作品を国際世論に向けて次々と発表しています。彼はのちに1956年、母と妻の故郷であるマジョルカ島に移り、そこにひっそりとアトリエを構え、晩年までそこで制作を行っています。 清楚で地中海の太陽に溶け込むような白色のミロ美術館・現代アート研究所は、「シンプル・イズ・ベスト」で知られる建築家ミース・ファン・デル・ローエの影響を強く受けたミロの友人ジュゼップ・L・セルトが無償で設計したもので、1975年にフランコ他界と時を同じくして落成されているのが象徴的です。現在油彩217、彫刻157、デッサン・版画ほか本人寄贈の作品5000点に併せ、夫人・友人その他からの寄贈を入れると合計一万点近いオリジナル作品を収蔵しています。

ミロといえば1962~63年京都藤井大丸及び大阪市立美術館での本邦初展示以来、日本でも非常に愛されてきましたが(彼自身1966年に訪日)、彼のテーマの一つである、饒舌な説明を避け無機的な記号の配列により生まれる均衡と韻文の重要視は、彼が禅の教えや詩人滝口修三に深い共感を覚えていたことにも関係しているとされています。

市内のミロ作品

 現在、バルセロナ市内において3ヵ所でミロの作品に会うことができます。まずはバルセロナへの空からの入り口”プラット空港第2ターミナルB”の外壁を彩る壁画です。2009年6月の新ターミナル開設により同ターミナル利用航空会社は減少しましたが、お立ち寄りの際は是非ご覧下さい。 第2の作品は、バルセロナ旧市街の散歩道”ランブラス通り”のモザイク画です。露天や大道芸など見るものが多々ある通りですが、中間地点に来たら足元にも目を向けてみましょう。そして3点目は、見本市等が行われるスペイン広場(Pl. Espanya)近くにあるミロ公園にあり、”女性と鳥”と呼ばれるミロ晩年の作品です。



ダリ美術館(Museu de Dali)

Pl.Gala-Salvador Dali 5 (Figueres)

サルバドール・ダリは、1904年、バルセロナ北西部に位置するフィゲラスの裕福な家庭に生まれました。ダリには、幼くして亡くなった同名の兄がいましたが、そのことが幼少の彼に大きな心理影響を与えたとされています。17歳の時に、マドリッドの美術学校に入学したダリですが、後に放校されてしまいます。その後は、シュールレアリズム(超現実主義)グループに参加するなど、徐々に自らの道を確立していきました。1929年、最愛の夫人ガラと知り合い、二人は恋に落ちます。ガラ夫人が亡くなるまで、二人の関係は続くこととなりました。1989年に亡くなったダリの遺体は現在、フィゲラスで眠っています。

生地フィゲラスにあるダリ美術館(正式名称:ダリ劇場美術館)は、かつては市立劇場でしたが、内戦時にほぼ破壊されてしまいました。幼少時、父親に連れられて度々訪れたこの建物の悲惨な姿を見て心を痛めたダリは、建物再現への思いを込め、1974年9月28日、自らの美術館を開館しました。パンのオブジェで包まれた同美術館には、焦点レンズを通して見ると女優メイ・フェストの顔に見えるという部屋やその他のユニークな作品、そしてピカソやエルグレコなど、ダリとガラからの寄贈品が展示されています。これらの作品を通じて、訪れる人々が道化的なダリのトリックを楽しむことができるでしょう。またフィゲラスからバスで1時間程のところにあるカダケスという海岸町には、「卵の家」と称されるダリがガラと暮らした家があり、現在はダリ博物館として公開されています。

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